本日は久しぶりに映画の感想を雑談で。
フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ボストン市庁舎』。
作品情報は公式サイトへどうぞ。↓
※この記事のきっかけ。
昨年、「映画で考える3・11」というシリーズを「マガジン9」に書きました。映画館フォーラム福島の阿部泰宏支配人へのインタビューです。チェルノブイリ原発事故の地元を撮ったニコラウス・ゲイハルター監督の映画『プリピャチ』を紹介したとき、阿部さんがこう話していました。「ゲイハルターの手法は『ダイレクトシネマ』と呼ばれている。その先駆者は何と言ってもフレデリック・ワイズマンである」。ウネリウネラはワイズマン監督の映画を一本も見たことがなかったので、その時から最新作に注目しておりました!
ウネリ 4時間半くらいの映画でしたね。
ウネラ 長い映画が特別苦手というわけではないんだけど、この作品について個人的には、あそこまで長い必要があったのかと思いました。
ウネリ ははは。印象的だったシーンは?
ウネラ 妙に頭に残っているのはゴミ収集のシーンだね。大きなベッドマットとかピアノとか、日本では「粗大ゴミ」として出すレベルのものを、無造作にゴミ収集車につっこんでいたのが……。
ウネリ ワイルドでしたねー。カルチャーショック感じちゃった。作品のメーンではないけど、ああいう「街角の一風景」みたいなシーンは興味深かった。
ウネラ あとは交通違反切符を切られた人が「申し開き」を行うシーンかな。
ウネリ 「ヒアリング・ルーム」っていう小部屋でね。あれは面白かった。子どもの出産に間に合うために路上駐車した若い父親が「疲れた新米パパの気持ちを分かってくれ」みたいなことを切々と訴えかけているのにはビックリした。法律でどうなってるのか知らないけど。
ウネラ 市民が行政に対して、気負わず「申し開き」する機会が設けてあるのは、とてもいいことだと思った。
ウネリ 罰金を免除されるか否かにかかわらず、自分の意見を言い切って少し気が晴れたようではあった。
ウネラ 市民と行政との「やりとり」があるということ。ほかの多くのシーンからも感じるのは、「市民が意見を言っていい。行政は市民の意見を聞くべきだ」という共通認識があること。市長や市の職員は「なんでも話してください。電話してください」とはっきり言うし、市民もそれを当然の権利として受け止めていた。そういうのは民主主義の大事なところの一つだと思う。
ウネリ 市長のマーティン・ウォルシュ氏も、映画を見る限りその姿勢は明確でしたね。
ウネラ ただ、市長は出すぎだと感じた。4時間半の映画の中で、市長の登場シーンがあまりにも多かった。
ウネリ パンフレットによると、3分の1以上のシーンに市長が登場するらしい。見た印象では、半分くらい顔出してる感じもする。
ウネラ 最初にわたしが「4時間半も必要なのか」と言ったのは、それが原因だろうな。
ウネリ 市長のPR映画のようだと?
ウネラ 大雑把に言えばそうだね。
ウネリ どんな人なの?
ウネラ アイルランド系の移民の家庭で、幼い頃に癌になり、建設労働者をしていた頃にはアルコール依存症に苦しんでいたとか。このあとボストン市長を辞め、バイデン政権で労働長官をやっている人みたいなんだけど。
ウネリ そうか。確かに映画は、市長の「いいところ」ばかりを撮っている。市長だけでなく、市当局全体だな。彼らが完成後に映画を観たとして、思わず顔をしかめるようなシーンは一つもない。「人種、ジェンダー、貧困、あらゆる問題を抱えているけど、それに真っ向から誠実に取り組んでいる市役所」という感じ。
ウネラ そうそう。
ウネリ この映画はドキュメンタリーで、ナレーションやBGM、効果音が一切ない。淡々と「ありのまま」のシーンを繋いでいる。でも、当たり前だけどスクリーンに映っているのがボストン市政のすべてではない。ワイズマン監督が撮ってない部分もあるし、編集段階でカットしたシーンもあるでしょう。作品全体にボストン市政への批判的視点が欠けている部分はあると思います。
ウネラ うん。
ウネリ でも、私が映画の感想として今話したいのは、同じような映画が日本で、たとえば福島で作れるかどうか、ということです。「福島県庁舎」とか、「福島市庁舎」とかいう映画が。
ウネラ う~ん……作ってみたとして、どんな作品になるだろうか。
ウネリ 映画『ボストン市庁舎』では、再開発で元の住民が立ち退きを迫られるのを防ぐための対策を、職員が市民と考えている。または、真冬の時期にホームレスの人たちをどう保護すればいいか、女性の賃金を上げ、ラテン系の人たちの社会進出を支えるにはどうしたらいいか。映画に登場する市長や職員たちは真剣に悩み、議論しています。そのプロセスには市民が加わっていることも多いです。
ウネラ はい。
ウネリ 本当はそんな「いいところ」ばかりではなく、「悪いところ」もあるかもしれないけど、少なくとも日常の公務の時間内に、カメラが撮れる「いいところ」がある。それがポーズなのかどうかは別にして、実際にそういう課題に取り組んでいないと、あのシーンは撮れない。同じような映画が、福島で撮れるのか。
ウネラ あんなふうに市民と市長や県知事が身近に触れ合える場面が、日常的に存在してるかなあ?
ウネリ 映画には、ボストン市長がお年寄りの人の話を直接聞く会のシーンがありました。おばあさんから「高くて必要な薬が買えない!」と訴えられ、市長は「その問題は今は解決できない(”out of control”)と言う。そんなシーンを、「福島県庁舎」は撮らせることができるか。要するに、それが仮に「カメラ向け」のものであったとしても、「いいところ」だけをつなげて、“山積する課題に真っ向から取り組む福島県庁“みたいな作品を撮って、4時間半もの「大作」になるかどうか。
ウネラ そうだねえ。それは福島だけじゃなく、霞ヶ関とか他の自治体にも言えることだろうけど。
ウネリ ぜひやってみてほしいですよね。映画『福島県庁舎』、『福島市庁舎』。実際、住民のために働き、悩んでいる職員の方もたくさんいると思うので、成り立つかもしれません。
ウネラ 自分がやったらいいじゃん。
ウネリ そうきたか。
ウネラ あと、ボストン市長は「電話して」と言うシーンが多いことを指摘したけど、そういう時に「その情報は私に届く。私につながる」と言ってますよね。あれは印象的でした。
ウネリ 「私が聞く」というのは、「私が責任をもつ」ということですもんね。
ウネラ うん。
ウネリ ということで、なんだか福島のことばかり話してしまいました。そんなような感じで、『ボストン市庁舎』は、「行政と市民との関係はどうあるべきだろうか」というようなことを考えるきっかけになる映画だと思います。今日はこのへんで!
映画『ボストン市庁舎』はフォーラム福島で1月20日(木)まで上映しています!
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コメント
長い映画でした。確かに市長を必要以上に登場させていた感は否めませんが、時期的にアンチトランプと言うワイズマンの主張があったのかもしれません。
ウネラさんの感じたことを私も感じました。特に駐車違反に対する異議申し立てのシーン。日本の警察も少し考えてくれれば良いのですがねえ。偉い人にはエラく気を使うくせに庶民には居丈高な警察の姿勢をふと思ってしまいました。
全体の感想として、これはアンチ維新の映画ではないか、ということ。市民を分断する行政では市は決して発展しない、と言う言葉があったと思いますが、その言葉はまさに維新のやっていることに対する批判そのものではないか、と思いました。人種差別、ジェンダー差別を具体的には収入格差の解消に取り組むことで、その解消に取り組む、などは日本の政治家に考えてほしいと思う。その取り組みが必ずしもうまくいっていない、ということも映像からはうかがえた、と感じます。
なにしろ長い映画なので、各シーンを仔細に覚えているわけではないので、思い違いがあるかもしれませんが、さすがワイズマン、と感じた作品でした。
前に見た作品は「ニューヨーク公共図書館」。この作品でワイズマンのファンになりました。
丁寧な取材と、街の雰囲気を感じさせる建物や街角の風景。市民の話し合いなども途中でカットすることなく(編集はもちろんしてあると思いますが)市民の主張を映し出すなど、長くなるには長くなる理由があるのだと思います。
原一男監督が「れいわ一揆」のアフタートークでおっしゃっていました。この長さでないと表現できないのだ、と。おそらくワイズマンもそうだろうと思います。
そのうち「福島市庁舎(市役所)」見られたら嬉しいなあ。ウネリさん、いかがですか?
ゴッサム市民さま
ご感想ありがとうございました。
「アンチ維新」というご指摘は大変興味深いです。維新そのものでなくても「維新的なるもの」「維新的あり方(やり方)」を社会の至るところで感じます。そういったものへの危機感は鑑賞後ひしひしと残りました。そのためにあの尺は必要だったのかもしれませんね。
時期的に『福島県庁舎』のほうを先に手がけるかもしれません(笑)
示唆に富むご感想、今後もぜひよろしくお願いいたします。
ウネリウネラ