生まれてこないほうが良かったのか?

 10月15日に、哲学者の森岡正博さんの最新刊『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ! 』(筑摩選書)が刊行されました。

 私はこれまで森岡さんの哲学から学ぶものが非常に多く、それをもとに考えることが「生きる糧」ともなっているのですが、そのあたりのことを語ると長くなるので、今回は割愛します。

 先日ウネリが「ベネター著『生まれてこないほうが良かった』を買ってみる」という記事を書きました。

 ウネリも私も、「生まれてくることは例外なく悪いことで、人類は出産をやめることにより段階的に絶滅していくべきだ」とまで踏み込んでいるベネターの論にはしっくりこないところもあり、微妙な表現に終始した記事にとどめました。

 ただ、自分たちなりに少しずつ勉強していくうち、ひと言に「反出生主義」といっても、そこにはかなりグラデーションがあるようだということがわかってきました。私自身も「私は反出生主義ではない」とはっきりとは言えません。

 そもそも「生まれてこないほうが良かった」という思想は現代に突如としてあらわれたものではく、古代から現代に至るまでさまざまな文学や哲学、宗教などにおいてみられる、人類2500年の歴史をもつものだと森岡さんは指摘します。

 今回の本の中ではそれら(古代ギリシアの文学、ブッダの原始仏教、ゲーテ、ショーペンハウアー、ニーチェなど)の思想を取り上げてひとつひとつ丁寧に掘り下げながら、「反出生主義」とは何かを明らかにしていきます。そうした考察の積み重ねを通じ、ベネターの提唱する「反出生主義」を乗り越え、「誕生肯定」(「生まれてきて本当によかった」と深く肯定できること)を打ち立てていくというのが、森岡さんのアプローチなのだと思います。

 森岡さんは、本の中でこのように述べています。

「生まれてきたこと」も肯定できず、「生まれてこなければよかった」と思うことも肯定できないとしたら、私はいったいどうしたらいいのか。一つの可能性は、「生まれてこなければよかった」という暗黒をいったんくぐり抜けることによって、その先に「生まれてきて本当によかった」という光明を見ようとする道である。

『生まれてこないほうが良かったのか?-生命の哲学へ!』(筑摩書房)より

 私はこうした森岡さんのアプローチに希望を見出したいような思いを抱いています。

 先にも書いたように、私は自分自身が「反出生主義でない」とは言い切れません。自分の中にも「生まれてこなければよかった」と思ってしまう部分があるし、「生まれてきて本当によかった」と心からは思えないところがあります。でもどうにかして、いつかは自分の生を肯定したい。「生まれてきて本当によかった」と思えるようになりたいという願いも心の奥深くに、確かにあるのを感じています。

 そのために、自分自身とも他の誰かとも対話し続け、考え続けていくことをあきらめないでいたい。そうすることで見えてくるものが、そうすることでしかたどり着けないところがあるように思うのです。

 「反出生主義」については近年、国内でも急速に広がりを見せているような印象があります。「反出生主義」を手がかりに、生命について探求することは尊いことだと思います。

 一方でこの問題に関しては、考え方の違いをめぐる貶め合いなども見られ、悲しくなります。そういうことは本当にやめてほしいという気持ちです。

 森岡さんの哲学の本は、とても深い内容を扱っていても非常に平明な表現で書かれていて、哲学を専門としない人たちに向けても開かれていると感じます。まだお読みでない方はぜひ。

 

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