映画「はちどり」について(上)

ウネリ:久しぶりの対談ですね。今日は私たちが大変衝撃を受けた映画「はちどり」(キム・ボラ監督)について話をしたいと思います。この映画を観て、ウネラさんは自身でも「初めて」という不思議な体験をしたそうです。とても興味深い内容だったので、今回は上・下2回に分けて配信してみたいと思います。

ウネラ:はい。お願いします。

※作品のストーリーについて踏み込んで話しているので、映画をこれから観る方は、お気をつけください。

【あらすじ】

1994 年、ソウル。家族と集合団地で暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、 別の学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩女子とデートをしたりして過ごしていた。 両親は小さな店を必死に切り盛りし、 子供達の心の動きと向き合う余裕がない。ウニは、自分に無関心な大人に囲まれ、孤独な思いを抱えていた。

ある日、通っていた漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。ウニは、 自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに次第に心を開いていく。ヨンジは、 ウニにとって初めて自分の人生を気にかけてくれる大人だった。 ある朝、ソンス大橋崩落の知らせが入る。それは、いつも姉が乗るバスが橋を通過する時間帯だった。 ほどなくして、ウニのもとにヨンジから一通の手紙と小包が届く。

映画『はちどり』公式サイトより
映画『はちどり』公式サイトより

ウネリ:私たちが大変お世話になっているある映画通の方から「今年の上半期ベスト」と紹介されたことに触発され、劇場に観に行きました。先に感想をひと言で言ってしまえば、素晴らしい映画でした。私自身、観ていて相当ヒリヒリした感覚をおぼえて「中学生の女の子の気持ちにここまで感情移入できる作品があるのか」と心底驚きました。ウネラさんの感想はいかがですか。

ウネラ:これまで映画を観てきた中で初めての、とても不思議な体験をしたんですよ。

この映画はフィクションだし、出てくる俳優さんたちも、私からするとみんな初めて見る人です。私はシネフィルじゃないですし、韓国映画にも詳しくないし。

でも、その中の登場人物のひとりである「ヨンジ先生」を見たときに……見ているというか、映画の中で出会ったというか、「見つけた」というか。もうずっと昔に出会っていた知っている人であるような、一方で、ずっと自分が探し続けている人であるような、どうにも不思議な感覚に陥ってしまったんですね。ヨンジ先生が出てきてから以降は、物語が進行しているさなかにも、ヨンジ先生を思い出して泣いてしまうようなことになってしまって。そういう映画体験は初めてだったので、戸惑いました。

ウネリ:ヨンジ先生は、主人公のウニが通う漢文の塾で出会って慕うようになる先生だよね。

映画『はちどり』公式サイトより

確認したいんだけど、そのヨンジ先生のことをウネラさん自身は「昔この先生に会ったことがあるんじゃないか」「自分の人生の中の実在の人物なんじゃないか」というふうにも思えた一方で、自分の人生にこういう人はいなかったんだけれども「こういう人がいたらいいな」とずっと頭で思い描いて生きてきたような気がするという、両方の感覚があるということでしょうか。

ウネラ:そう、なんでしょうかねえ…

いずれにしても、非常に自分が求めてきた人、必要としてきた人、こういう人があってほしい、この人が私のそばにあって欲しいと強く思っていたような人だったのかな。今この話をしながらヨンジ先生を思い出すだけでも、胸が詰まるようなところがあります。

ウネリ:主人公のウニという女の子は、男性中心の社会の中にあって家庭の中であまり重視されない、自分にあまり関心を払われない状況にいて、思春期特有の悩みなどもある中で孤独感を抱えている女性だと思うんですが、そこと自分の子ども時代が重なるところはあるんですか。

ウネラ:私はさほど男尊女卑的な環境で育ったわけでもなければ、学歴主義を押し付けられたことも、むしろなかったです。

ただウニと同年代の時期、個人的に兄が病気で、一時的に両親と非常に距離が遠くなっていた、一緒に過ごす時間も極端に短くなっていたということはあります。今思えば、寂しさというか、もう少し自分に関心を払ってもらいたかったという気持ちはあったんでしょうね。それを出せるような状況ではなかったので「今思えば」なんですけど。

病気の兄っていうのは脳死の状態だったんです。非常に難しい状態を生きている兄を前にして、自分は誰に言われるというわけではなく、おのずから「兄の身代わり」的に振る舞ってしまう。そういう時期だったんですね。

たとえば自分はたいして運動が好きでもないけど、兄が好きだったバスケットボールを始めたり。バスケはけっこうハードだから、最初はきつかったですよ。おもしろいとも思えなかった。でも「バスケやり始めた」と言ったら、張り詰めた無菌室がなんとなくなごんで、やつれた親が笑ったりするでしょう。

兄は不自由というか、意識がなく動けない状態ですから、自由に体も動く自分はもう何もかも一生懸命頑張んなきゃいけないんだ、みたいに思ってですね。親からそういうことを言われたりしたおぼえは本当に一切ないんですよ。外に出れば「お兄さんのぶんまで頑張りなさい」みたいなことを言ってくる人もいましたけど。それはもう、状況がそうさせたというか、「そうしなければならないんだ」と子ども心に思っていました。

だから、自分の人生を生きていた、というよりは兄の代わりをするように、その日その日をなんとか生きていたという感じだったのかなと、あとから思えばそういうふうに思います。自分がそういう生き方をしたことを今もまだ全然認められないというか、受容できない、どう肯定していいのかわからないんですけど、誰を責められる状況でもなかったですから。

ウネリ:自分が周囲から目を向けられていないという意味での孤独感、寂しさとか、自分が自分の人生を生きられていないことからくる抑圧。たとえばウニの場合は、韓国で女性として生きるならこうあるべきだとか、学歴のことだとかを、かなり家庭内でも社会でも押し付けられていたということが、映画からは読み取れます。背景は違うけれど、自分らしく生き切れていない、自分らしさにふたをしなければならないという意味では、ウネラさんもかなりウニと似た状況だったのかなと思いました。

それで、「ヨンジ先生が本当に自分の知り合いだ」「ヨンジ先生がいたんじゃないか」という感覚にまでなってしまったというのがすごく興味深いんだけれども。実際にはヨンジ先生はいなかった、ですよね?似た人がいた?

ウネラ:自分でも「あの人に重ねているのかな?」とかいろいろ考えてみたんですけど…いろいろなかたちで、いろいろな人が私を支えてくれていたんですよね。でも、どう考えてもヨンジ先生と重ねてしまった特定の人というのは思い当たらないんですよね。そういう感じではないんです。

むしろリアルに「ああ、この人、ここにいたのか」という感じになっちゃったわけです。けどおかしなことですよね。ヨンジ先生は韓国語を喋ってるし、私は韓国に行ったこともないし。実際には会っていないと思います。

ウネリ:ドッペルゲンガーじゃなければね。

ウネラ:そうそう。 不思議と「あの人に似てる」とかじゃなくて、「この人」なんですよね。どう言えばいいんだろう…自分でもちょっと説明ができないんですけど。そうですねえ…

それについては、まだわからないんですけど、ヨンジ先生自身が、ある時期の自分に少し似ていると感じるところもあります 。

ウネリ:ああ、確かにねえ。煙草を吸っちゃってたり。

ウネラ:(苦笑)まあそれはちょっと退廃的な感じというかね。脆いような危ういような時がありました。風貌なんかも含めて、いっときの自分に似ているようなところも、少し関係するのかもしれないですね。

ウネリ:それもあるだろうね。

ウネラ:夜の公園でウニとヨンジ先生がふたりで腰掛けて話すシーンがあります。ウニがヨンジ先生に「先生は自分が嫌になったことは?」と尋ねると、先生は少しの沈黙のあと「何度も 本当に何度も」と答える。

ヨンジ先生は「自分を好きになるには時間がかかると思う」というようなことを言いながらウニに「つらい時は指を見る」というんですよね。そして実際にその指を一本一本をゆっくりと、震えるように繊細に動かしていく。私にとって忘れられない、とても印象的で大切な場面です。

ウネリ:ウネラさん自身が、自分を受け止めてくれる存在を強く必要としている時期があった。その時期もいろんな人から支えられてはきたんだけれども、それだけではどうしても足りない、満たされていない気持ちが潜在意識下にはあって、それを満たしてくれる存在をずっと探してきたのかもしれません。

その存在は、はっきりした顔とか形とかをとっていたわけではなかった。少なくともウネラさんが意識できてはいなかったんだと思います。ところがこの映画のヨンジ先生は、そこにあまりにもぴたっとはまってしまった。今まで顔形も思い描いていなかったはずの、少女時代に自分が求めていたものの要素をすべて集めたような人が、「ヨンジ先生」としてそこにいた。だからああいう体験をしたのかなと思います。

映画『はちどり』公式サイトより

(下に続く)

 明日配信(予定)の(下)では、この映画体験が現在のウネラにとってどういう意味を持つのか、ということについて掘り下げていきます。

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