子どもの遊び

ウネラのブログより転載、一部加筆。

新型コロナウイルスの影響で、各種テーマパークが閑散、子どもの声が街から消えた、といった報道をよく見るようになりました。

実際そういう面もあるでしょうが、個人的には、あまりそこを大きく取り上げてどうするんだ、と思って見ています。

渦中にある今、私自身が論じられることはあまりないのですが、一般として、子どもは、どこか「できあがった場所」に連れていかなければ遊べない、学べない、ような、「やわ」な存在ではないと感じています。

子どもは何もないところから、勝手に遊びをみつけたり、つくりだしたりしますよね。

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これは去年の6月のある日の我が家です。 

天気が悪かったかなにかで、外出できなかった時だったと思うのですが、長男がおもむろに、新聞紙で家を作り出しました。

※親の仕事柄、家に新聞紙が豊富

これが弟らにうけて、あっという間にお城ごっこから、ピクニックの様相へと、どんどん盛り上がっていきました。

子どもたちの歓声につられた私はキッチンでおむすびをにぎって、新聞紙ハウスにお届け。

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こんな感じになりました。つくった人は中に入りきらなかったようです。みんなごきげんでした。

狭いマンションの一室なんですけど、子どもたちにとって新聞紙の柱の中は、冒険のテントになったり、一軒家になったり、お城になったり、自由自在なんですよね。

遊園地やテーマパークはもちろん、学校や園すら、ほんとうに「不可欠」なものと言えるのか、考える岐路にきているような気がします。

もちろん、あったらあったで、うまいこと利用すればよいと思うのですが、「なくてはならないもの」とあまり信じこまなくていいように思います。

何もないところから、子どもは勝手に遊びを生み出し、わからないことに出会って、学びに取りかかるのではないでしょうか。

必要なときは、年齢を問わず、友を求めに行くこともできるでしょう。

大切なのは、困ったときに助けを求められる場所が確保されていること。

おそらく、問題になっているのは、その部分なのかなと思います。助けを求めていく先があるか、求めていくすべを知っているか。あるいは、自分自身が、誰かの助けを受け入れられる存在になっているか。その用意ができているか。

こういった危機に際し、考えることが尽きないし、考えてこなかったことの多さを日々突き付けられているような思いです。

子どもについて書いてきましたが、すべて大人にも言えることかなと思っています。

相変わらず、ちょっと要領を得ませんね。ゆっくり、考えていきたいと思います。

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