菅首相による任命拒否はすべての人にかかわる「事件」
菅首相が、日本学術会議の新会員6人の任命を拒否する、という「事件」が起きました。
この事件をめぐっては今、「学問の自由の侵害だ!」という抗議の声が、学者たちを中心に上がっています。
こうしたことから、このことを「学者や政治家たちの“内輪”での問題」、「偉い人たち同士の人事上のいざこざ」と冷ややかに見ている人もいるかもしれません。
しかしここで言う「学問の自由」とは、「偉い学者先生が自分の好きな研究をする自由」ではありません。「勉強で得た知識や経験をもとに、政治や社会にものを言う自由」のことです。
その意味で今回のことは、すべての人たちに関わるかなり重要な問題だと思っています。なので、ここではあえて「事件」ということにしました。
私はこの事件の行く末を本当に心配していて、その心配を多くの人たちと共有したいと思い、この文章を書いています。
日本学術会議の役割
「日本学術会議」とは、要するに国内の学者たちの集まりです。会員のほとんど全員が大学の「教授」や「学長」です。では、この団体の役割はなんなのか。ざっくりいうと
ときの政府がものごとを決めていくのに対し、「ちょっと待って、学者たちはこう考えるよ」とか、「こんな問題が埋もれているのでは?」などと、声を上げること
だと、私は考えています。
日本学術会議はこれまで、政府に対してさまざまなかたちで意見を表明しています。近年の例をいくつか紹介すると、
・「同意のない性交」を罰するための法律の整備について
・性的マイノリティ、特にトランスジェンダーの権利保障について
・大学入試における英語試験のあり方について
といったものがあります。どれも、いろんな考え方の人がいる問題です。
もちろん私自身、これまで日本学術会議が出してきたすべての提言や声明に「賛成」というわけではありません。ただ、ふだん埋もれてしまいがちな問題や、政府が拙速に決めようとしている問題に対し、学者たちが「これはもっとじっくり腰をすえて考えるべき問題ですよ」と意見を示すことの意義は大きいと思います。
近年特に注目を集めたのは、軍事目的の研究に関する声明文でした。※詳細はこちら「軍事的安全保障研究に関する声明」2017年3月24日(日本学術会議HPより)
防衛省が装備開発のための研究に金を出す動きに対して、日本学術会議は「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と指摘しました。
政府や世の中が「これでいくぞ!」と勇んで突き進もうとしているときに、学問の見地からきちんとブレーキをかけること。それがこの団体に期待されていることなのだと考えます。
日本学術会議は、社会にとっての「ATS」
日本学術会議の一部の新会員を菅首相が任命拒否したという「事件」を知り、私はふと、2005年に起きたJR福知山線の脱線事故のことを思い出しました。
たくさんの乗客を運ぶ列車が、急なカーブに時速100キロ超で侵入し、脱線。100人以上の犠牲者を出してしまったという、本当に痛ましい出来事でした。
この事故の原因の一つに、カーブに入る時の速度を制限する最新鋭の「自動列車停止装置」(ATS-P)の整備が遅れていた、ということがありました。
安全対策を先送りにしたJR西日本が強く非難されるべきなのは当然ですが、同時に私はこうも考えてしまいます。
JR西日本にATSの整備を急がせなかったのは、私たち社会のほうではないのかと。
福知山線の過密ダイヤは、私鉄各社との競争で作り上げられました。その競争の恩恵を受けてきたのは乗客、私たち一般市民です。もっとスピーディーに、しかも定時運行で、というのは確かに「便利」です。しかしその便利さを猛スピードで追求してきた結果、私たちはとても大きな代償を払わなければなりませんでした。
私は、日本学術会議やそこに連なる学者たちは、社会にとっての「ATS」ではないだろうかと考えています。日本社会という列車が高速で突き進もうとしている時に、「スピードを落として考えることがあるのでは」とアドバイスをする役割です。
社会の先導役とも言える菅首相が、これからやっていくことその一つひとつが正しいか正しくないかに関わらず、重要な物事を決めていく際には、適宜ブレーキをかけながら進めていかなければならないはずです。
仮にそれが「正しい方向」へ向かっているように見える事柄だとしても、同じことです。社会のものごとには鉄道と違って、線路さえありません。正しい方向と思ってハイスピードで進んでいった先に、いきなり急カーブが出現するかもしれない。
そうした急カーブの出現を予想し、注意喚起する役割を担っているのが、学者たちであり、日本学術会議だと思うのです。
気に食わない学者の締め出しは「ブレーキ装置の弱体化」につながる
菅首相は今回、自分の気に食わない学者を、学術会議から締め出そうとしています。列車の運行者である首相が、運行に都合のいいように、ブレーキ装置を弱体化させようとしている。それが今回の「事件」の本質だと思います。
そう考えてみると、どうでしょうか。「いまの政権は悪くない」と思っている人も、何かあったときに「ブレーキ装置」が機能しなくなったら怖いと感じませんか?予想もつかないような事故を少しでも未然に防ぐため、ブレーキまわりはしっかり装備していたいと思いませんか?
私はブレーキが作動しない社会に生きるのを、とても怖いと感じます。これは、世の中で起こり得る重大な脱線事故を防ぐための「ブレーキ装置」を必要と思うかどうかという、すべての人たちに関わる重要な「事件」だと思うのです。冒頭にも書いた通り、一部の学者や政治家たちの問題とは到底いえません。
この「事件」をすごく心配しています。そのことを一人でも多くの人と共有したい、一緒に考えさせてもらいたいと思って、書きました。
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