名前を呼ぶ

 わが家で人気の絵本の一つに、『だいくとおにろく』(文・川村たかし、絵・清水耕蔵、ひかりのくに)がある。

 暴れ川に橋をかけられず、大工が困っている。そこへ一匹の鬼があらわれ、あっという間に橋を完成させてしまう。鬼は報酬として大工の目玉を求める。どうしても目玉が惜しいのなら、おれの名前を当ててみろと迫る。

「人間のおまえに、おにの名前がわかってたまるか。さあ、目玉よこせ」

 このあいだ3歳になった三男にはじめて読み聞かせたら、鬼が目玉を求めるページで体をぐっとこわばらせていた。結末を知って安心できた今でも、読んで読んでと何度も頼まれる。一介の大工が機転をきかせて巨大な鬼を倒すというストーリーが痛快なのだろう。

 鬼の弱点が「名前」であるところは興味深い。鬼は人間の恐怖を糧にして生きている。名前のない不可思議な存在でなければ、いくら怪力無双でも人びとの恐怖は半減してしまうのだ。「ゆうべあの山に鬼がでた」と言われれば、村人は恐れおののき、金輪際あの山には登るまいと思う。ところが、「さっき川の近くで鬼六のやつを見かけたぞ」という具合だったら、「そうか、そりゃ大変だったな」くらいで済んでしまう。

 名前を知られることで、鬼六は村人たちの物語の登場人物に組み込まれる。村人は恐怖を紛らわすために、作り話をはじめることだろう。鬼六がまだほんの小鬼だったころ、溺れているところを村人に助けられた話。鬼六が嫁取りに失敗して山をゆるがすほどの大声で泣いた話……。本来は神出鬼没なはずの鬼に対して、村人は作り話を通して、自分たちになじみ深い「来し方行く末」の衣を着せていく。できあがるのは図体が少しばかり大きいだけの「村の衆」である。こうなったらもう、鬼六はまともな鬼稼業を続けられない。

 まったく別ジャンルの本を紹介しよう。『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)。性的マイノリティやその家族、アライ(支援者・理解者)へのインタビューを行うウェブメディア、「LGBTER」が出した本だ。

そのなかで、ゲイの男性が中学校でいじめられたときのことをライターに語っている。

「同じクラスに、家の仕事を手伝うため、あまり学校に来られない男の子がいました。ある日、その男の子が久しぶりに学校に来て、私を名前で呼んでくれたんです」

「おまえ」「あいつ」「それ」……。そんな記号のような名称ではなく、当たり前に、人間として、親しみを込めて、彼は名前を口にした。名前を呼ばれる、というなんてことのない行為も、当時の自分には、モノクロの世界に色がつくほどの大きな出来事だった。(中略) それは、生まれて初めての恋だった。

『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)

 「名前を呼ぶ」という行為には、その人を、自分の人生のかけがえのない登場人物として迎え入れる、という意味がある。

 神奈川県内の障がい者施設で殺人事件が起き、たくさんの人が犠牲になった。事件をひきおこした被告の裁判で、亡くなった人びと、けがをした人びとの大半は「甲A」、「乙B」などと呼ばれている。一方で、ある遺族は初公判の前に、自分の娘には「美帆」という名前があると発表した。

美帆は一生懸命生きていました。その証しを残したいと思います。こわい人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。

 「美帆さん」という名前を教えてくれたことに、深く感謝したい。この事件の犠牲になった人、傷つけられた人に深く思いをはせるために、私は「美帆さん」とう名前を、心の中で呼び続けたい。

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