大学で話したこと

先日、福島大学で映画「AFTER ME TOO」と自身の性被害体験について話す機会を得ました。以下に概要を記しておきたいと思います。

※性暴力被害についての描写があります。


ずいぶん前髪の短い人が来た、と思った方がいるかもしれません。
実はこれ、数日前に自分で切ったんです。
ずっと一生懸命伸ばしていたのに、髪の長い、いわゆる女性的な自分が突然嫌になって、ハサミでバサバサと切りました。そのとき前髪を切りすぎてしまって、それで少しヘンテコになってしまったのですが……。

衝動的に髪の毛を切りたくなる。性暴力被害に遭ってから、しばしば私が経験している反応です。
私は朝日新聞の記者だった頃、2006年と2007年に、取材相手から性暴力被害に遭いました。
1回目の被害は警察官です。警察官舎に取材に行ったとき、「捜査資料を見せてあげる。写していいよ」と言われ、資料を書き写しているところを背後から襲われました。半年間くらいは誰にも言えませんでした。心身に異常をきたし、仕事を続けられなくなった頃、ようやく上司に報告しました。警察は内部で聴取し、加害者は依願退職しました。
2回目は夏の高校野球です。朝日新聞が主催しているので、担当チームと同じホテルに宿泊していました。そのチームの選手の一人に部屋を特定されてしまい、部屋に突然押し入られ、自慰行為を見せつけられるという被害に遭いました。
相次いでそういう被害に遭ってしまい、その後どんどん体調を崩しました。会社の対応が不当、不誠実だったこともあり、2019年に朝日新聞を退社しました。

今日、皆さんに聞いてもらいたいのは、性暴力サバイバーの一人としての、私の困難です。
被害に遭ってから、周りの人はなかなか気づきにくいだろう困難を、いくつも抱えています。
たとえば、冒頭に話した通り、ときどき、髪の毛をバッサリ切りたい衝動を抑えられなくなります。
そういう衝動がやってくるのは、被害者であるはずの私が、逆に責められた経験があるからだと思います。「あなたが不用意だった」とか、「私が着ていた服装は何だったのか」とか、直接的にも間接的にも、そういうことを言われてきました。警察の取り調べでもそういうことを言われたし、周りの人がそういうことをほのめかしてくることもありました。
私はそれにうまく対処できず、憤ったり、「そんなことない」と抗議したりすることができませんでした。

その代わり、髪の毛を切ったり、服は襟がつまったものばかり着たり、身体の線が出ないものを選んだり。そんなことをしていました。どうしたら被害に遭わなくなるだろうかと、そういうことを考えていました。
これは全く逆で、何をしていようと、どんな服を着ていようと、やった相手が悪いんです。しかし、自分の中でそう思えるまでに、とても時間がかかりました。最初の被害から16年経ちましたが、最近になってようやく、そう思えるようになったくらいで、それでも今でもやはり衝動的に「髪を切ろう」と思ってしまう時があるくらいです。それくらい、時間がかかり、難しいことなんだということを分かってほしいです。

去年の夏、福島駅前でパニックになり、しゃがみこんでしまったことがあります。福島市は古関裕而さんという作曲家のゆかりの地ですよね。代表作の中に高校野球のテーマ曲の「栄冠は君に輝く」もあります。それが福島駅の構内でBGMとして流れていたんです。そのメロディーによって、私はパニックになったのでした。パニックの理由が分かった時、ショックでした。自分はまだ、こんなことに反応して、苦しんでしまうのかと。すごくつらかったです。

日常生活では、誰かに背後に立たれるのは、すごく苦手です。一対一で人と会うのもかなり難しいです。日常的な困難は、その他にも細々とたくさんあります。

そういう困難がある中で、なんとか生き延びていますが、いまだに精神科に通院をして、薬を飲み、カウンセリングを受けています。

そういった医療的ケアを受けつつ、被害後ずっと自分が続けていること、続けざるを得ないことは、「考え続ける」ことです。
被害のことを忘れようと思っても、それはできません。忘れられないので、考え続けます。
なぜ自分にこういうことが起きてしまったのか。私と同じような被害がずっと続いてしまうのはなぜか。社会の構造的な問題があるのではないか。
常に考えざるを得ない。サバイバーとして生きる人は、生きる困難さを自分で紐解いていかなければ、生きていけません。

本を読んだり、勉強会に出たり。そういう中で今年1月、お茶の水女子大学のジェンダー研究所が開催した「#MeTooの政治学」という国際シンポジウムに一般参加しました。その時に見たのがこの映画、「After Me Too」でした。

MeToo運動は、2017年以降にブームになりました。その運動の熱がいったん下がった後、社会はどう変わったのか。変わらなかった部分もあるのか。

「声を上げる」ことが#MeToo運動の本質である中で、運動がすくい上げることができなかった「声」はないだろうか。そういうことを考えようとする作品でした。#MeToo運動は著名人がけん引してきたところがあると思いますが、この作品は市井の方々の姿を丁寧に描いているのが印象的でした。

MeToo運動は日本でも一定の盛り上がりがあったと思います。でも、私は、大切なことだと思いつつも、自分が積極的に関わることはできませんでした。当時私は今よりも元気がなくて、声を上げきれなかったという面もあります。また、ハッシュタグ運動が盛り上がれば盛り上がるほど、自分が声を上げていないことを責める気持ちにもなりました。

そういう経験があったので、「After Me Too」に出てくる市井の人びとの、有名人ではないけれど一生懸命いろんな方法で声を上げている姿に、すごく勇気づけられました。シンポジウム終了後、主催者の大学の方に連絡をとり、「日本でも上映したい」と伝えました。韓国の映画会社の方とメールでやりとりして、半年以上かけて上映会の実現にこぎつけました。日本では配給会社がついていないので、現時点ではほかの劇場で上映の予定はありません。

作品はすべてドキュメンタリーの4部構成です。高校生によるスクールMeToo。幼い頃の被害のトラウマに苦しんできた人がやっとそれを言葉にする話。芸術界で起きたMeToo運動のその後。親しい間柄やマッチングアプリで知り合った相手との性交渉での被害、不快な体験について。
さまざまな角度から性暴力の問題について考えています。皆さん、どれかの作品に共感したり、刺激を受けたりすることがあると思います。また、ゲストの方をお招きして、問題に関してさらに理解を深める機会を持ちたいと思います。観客の皆さんからも質問をいただいて、やりとりができればと思っています。

性暴力は加害者と被害者だけの問題ではないということを強く思っています。長い間解決されていない、何度も何度もくり返されてしまう。そういう問題というのは、社会の構造に問題があるように思います。
性暴力を「たいしたことがない問題」と見なしてしまう社会や意識をどうしたらいいのか。私に答えはありませんが、この「After Me Too」の上映会を考えるきっかけの一つにしてもらえたらと思います。

こういった問題に関心がある方も、自分には遠いなと思っている方も、ぜひ来ていただきたいです。#MeToo運動や性暴力への抗議に対して反感を持っている方にも、ぜひ来ていただきたいです。とにかく意見交換、対話が必要だと思っています。私は毎日会場にいますので、何かあればぜひ、話しかけていただきたいです

最後に、もう少しだけ学生の皆さんに聞いてほしいことがあります。

私は、自分の被害について「話したい」と思った時に、「無理して話さなくていいよ」と言われたことが何度も何度もあります。思えば、この言葉に私はたくさん傷ついてきたなと思っています。
被害者は、話さなくて済むようなら話さないです。でも、自分の中にとどめておくのはもう無理だ、もう耐えきれない、という状況だからこそ、勇気を振り絞って話そうとしているのです。とにかく聞いてほしいのです。「無理に話さないで」という言葉は、恐らく被害者への配慮から出てくるのだと思います。しかし、ある意味この言葉は遮断であり、「その件には関わりたくない」という意思表示です。どうか、身の周りで打ち明けてくる人がいたら、「無理しなくていいよ」と言わず、話をさえぎらず、その人からとめどなく出てくるものを聞いてほしいと思います。

性暴力は加害者と被害者の関係がとても影響します。私の場合、記者と取材相手は本当はフラットな関係であるべきですが、「話してもらう」ということで上下関係ができてしまっている場合が多いです。この上下関係が性暴力の温床になります。
こういう上下関係は大学にもありますよね。教員がどれだけ対等に接しようと努力しても、成績をつけるという仕事からは逃がれられませんし、上下関係は避けられないと思います。そういう環境ではハラスメントや性暴力が起きやすい、ということは意識しておいてほしいです。あとは、親しい間柄での性暴力、デートDVなどもあります。直接的な被害を経験していなくても、ごく身近につらい目に遭っている人がいるかもしれない、ということを意識しておいてほしいと思います。

若い方の感覚の鋭さは素晴らしいと思っています。世の中を変えていけるのは若い方たちだと思います。


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