【釧路赤十字病院・新人看護師自死事件】②職場での評価

報道

 北海道の釧路赤十字病院(釧路市)で2013年9月、一人の新人看護師が自ら命を絶った。村山譲さん、当時36歳。両親は裁判を起こし、真実を求めて闘い続けている。3月15日、労災認定訴訟の判決が言い渡される。

 息子は仕事のことで苦しみ、追いつめられていたのではないか――。譲さんが亡くなった直後から、母百合子さんと父豊作さんは真実を明らかにしようと決心した。過労死やパワハラ死問題に詳しい東京の弁護士に相談し、労災申請の準備を進めた。その結果、いくつかのポイントが見えてきた。(ウネリウネラ・牧内昇平)


「評価表」

 ミスをしてしまった譲さんに対して、職場の視線がだんだん厳しくなったのではないか。そう思わせるような書類を両親は見つけている。「評価表」という人事資料だ。

「評価表」とは、新人看護師が毎月の自己評価を書く書類だ。それに対して指導役である「チューター」や「新人担当」など先輩・上司の看護師たちがコメントを加えていく。中身の一部を紹介する。該当部分はなるべく省かずに書く。一部を切り取れば微細なニュアンスがつかめなくなり、ミスリードを招く恐れがあるからだ。

【2013年4月】

譲さんの自己評価:〈気管挿管介助について:この介助では、医師の挿管タイミングに配慮することができず、自己中心的な介助になっていたと考える。だが、4月後半から介助の流れが頭に浮かび、少しずつではあるが医師に対して配慮できるようになってきたと振り返る。さらにスムーズな挿管介助が実践できるよう自主トレーニングを継続する。〉

チューターの評価:〈1か月、お疲れ様でした。この1か月で、村山さんの“もっとできるようになりたい”という思いが毎日伝わってきました。振り返りにあるように、今月からどうしていくかを考えること、やっていくこともとても大切だと思います。でもこの1か月でできるようになったことがあるということも忘れないで下さいね。5月も一緒に頑張りましょう!〉

新人担当の評価:〈1か月、お疲れ様でした。日々新しい事を覚えていく事はとても大変だったと思います。その中で積極性を持ち、学習を進める姿に頑張りを感じました。たくさんの事を学び、早く覚えたい気持ちはわかります。が、まずは確実に1つ1つの技術を習得していきましょう。〉

看護師長の評価:〈気管挿管介助の時、自己中心的な介助になっていたと記載がありましたが、なぜそうなったか自分自身理解出来ましたか挿管時のポイントはどこですか。その時の患者さんの状態はどうでしたか。それに合わせてDr.の動きはどうでしたかどこをみて、看護師は介助すると思いますか。1つ1つていねいに振り返っていくと見えてくると思います。〉

【2013年6月】(※譲さんが薬剤誤投与などのミスをした月)

譲さんの自己評価:〈先月初旬は、ブーツの位置決めが上手くできず、外旋気味となったが、下旬には、患者の体格を立体的に把握することが可能となり、体格に応じて安全にレビテーターを装着することが可能となった。〉

チューターの評価:〈前に振り返りでも話しましたが、できるかどうか評価するのは自分ではなく周りです。私はまだレビテーターの使用は安全にできていないと思います。それと患者さんを見ていない=観察できていないではなく、今患者さんがどのような状態で何が必要なのか、自分が何をしなければいけないのかを判断できるように見ていないと話したのですが、伝わりませんでしたか?自分が患者さんだったら…と考えた看護をしてもらいたいです。〉

新人担当の評価:〈安全にできたと判断・評価するのは誰で、どのタイミングでしょうか。その患者さんはオペ後、帰室後、どんな様子で、オペの影響は出ていないのか…。判断・評価はその場ですぐできるものではありません。先輩たちが「できてるね」と言うのは「とりあえず今は」という意味が含まれています。患者さんが無事に帰室して元気に退院してはじめて、安全な看護ができたと言えるのだと私は思います。私は今も自分が行った看護が正しいか、いつも不安に感じ、仕事をしています。それが慎重さにつながると思います。〉

看護師長の評価:〈体位について、患者の体格を立体的に把握することが可能となり、と書かれていますが、具体的にはどこをみて、どのように判断し、行うようにしていますか? それを具体的に表現出来ることがあなたの成長だと思います。〉

【2013年7月】

譲さんの自己評価:〈今月も、麻酔係として成長することができなかった。各処置の介助を一人で安全に実施できるという目標があったが、「安全」にという目標が守れていない。術前の麻酔~消毒までの一連の流れが、フローチャートを書いてみても、できる日と、全くおぼつかない日があり、ムラがありすぎることがあった〉

チューターの評価:〈取り組みに対してできなかったこと、不十分な点については書かれてありますが、そこからどんなことを学び、次に活かしていきたいのか、もっともっと具体的に書いてみませんか? 普段のふり返りだけではなく、1か月のまとめとして文字にしてみることで色々な気付きがあると思います。その中から自分に不足な所、学ぶ必要がある所が明確になるのではないでしょうか?〉

新人担当の評価:〈体位の介助は転落防止の為だけですか? 蛇管のL字をつけて固定するのはなぜ? ルートをきれいにまとめるのはなぜ? 安全とは何でしょう。そこを考えてみてください。流れを覚えることは大切です。が、その流れの中に患者さんはいますか? 物事にはどんな事にも、意味・根拠があります。皆がなぜ、そうしているのか、を考えてみてください。それが成長につながると思います。〉

看護師長の評価:〈自己の取り組みを振り返る時、どこが出来て、何が不足だったのか、わかりますか。できる日と全くおぼつかない日があるのはどうしてですか。何が違うのか、考えられることはないですか。できた日のイメージを大切に! その時は何が良かったと感じたのか。うまくいった点はどこだったのか整理出来るといいですね。〉


 読者の方々はどのように感じただろうか。この資料だけでは分からない。早計は禁物だ。きっとそう言うだろうと思う。その通りだ。

 でも、村山譲さんが亡くなったと知った上でこの資料を読むと、筆者はやはり、「もう少しちがう接し方はできなかっただろうか?」と思ってしまう。4月の評価表は励ましの言葉で埋まっていた。6月はどうだろうか。彼が〈安全にレビテーターを装着できた〉と書いているのに対し、チューターと新人担当が二人して否定している。7月の評価表には「?」マークが並んでいる。〈今月も成長できなかった〉と気落ちしている譲さんに対し、〈流れの中に患者さんはいますか?〉〈何が不足だったのか、わかりますか。〉と質問攻めである。

 一つのミスが人命にかかわる現場だ。一定の「厳しさ」は必要だろう。しかし、ひとを育てる「厳しさ」ではなく、ひとを突き放す「厳しさ」になってしまっていた、ということはないか?


職場のサポートは?

 両親の労災申請を受けて、釧路労働基準監督署の職員が同僚たちから話を聞いている。聴取書を読んでまず気づくのは、多くの同僚(先輩・上司)が譲さんのミスをくり返し語っていることだ。

釧路労基署による同僚たちへの聴取書

〈……村山さんには私たちの指導がなかなか理解できないことが多く、例えば挿管のチューブにつながる蛇管を患者の胸部に固定する際、真っ直ぐ捻じれないように何度もやって見せて教えても、何度も曲がったままで「できました」と言ってきます。なぜそのようにしなければならないか何度教えても理解できていないようでした。……眼の手術前に患者に帽子を被せて髪が邪魔にならないように帽子の中に入れてテープで固定します。これもなぜそのようにしなければならないか意味を教えて、やって見せて教えているのですが、村山さんは患者の髪が出たまま固定して「できました」と言ってくるので、もう一度説明をすると「わかりました」と答えるのですが、本人は間違いに気づかないようで、何度も同じ間違いを繰り返してしまい、その度に説明して教えていました。指導者が「きちんとやってね」といっても、その「きちんと」の意味がわからないようでした。〉

〈……村山さんは教えたことの意図が上手く伝わらないことがありました。他の新人看護師よりも年長者であり、年齢的なこともあるのかと思いますが、何度教えても同じ間違いを繰り返すことがあり、外回り業務もなかなか覚えきれていませんでした。……村山さんが同じ間違いを繰り返して、指導者であるチューターや新人担当看護師が少しきつい口調で注意すると、「なぜそのような言い方をするんですか」と言い返してきたりすることもあり、5月中旬頃に、村山さんに間違いが多く指導しても上手く伝わらない感じがするということで、村山さんの指導が難しいとチューターや新人担当看護師から聞いていました。〉

 この聴取書を読んでいると筆者は考えこんでしまう。どうやら譲さんはミスが多い人だったらしい。先輩や上司の指導を素直に聞かないところもあったのかもしれない。こういう内容は上に挙げた2人だけでなく、多くの看護師たちが労基署に対して答えている。

 しかし、たとえば同僚の話の中でのこんなくだりは、どう受け止めればいいだろうか。
〈村山さんは患者の髪が出たまま固定して「できました」と言ってくるので、もう一度説明をすると「わかりました」と答えるのですが、本人は間違いに気づかないようで、何度も同じ間違いを繰り返してしまい……〉

 何かがおかしい。譲さんは仕事への熱意はあったはずだ。以前の仕事を辞めてまで、わざわざ30歳で転職しているのだから。看護学校時代も熱心に勉強していたと、母百合子さんは話している。それなのに初歩的なミスをくり返してしまうのはなぜか。

 聴取書の中で多くの同僚たちが語っていることがある。〈緊張しやすい〉〈過緊張〉〈焦る〉。彼自身の遺書にもあった。

 異常な緊張が続き…毎日、胃痛と頭痛に悩まされ…集中力に欠けて、ミスを連発し…

 緊張のせいで譲さんが本来の実力を発揮できなかった――。そうだとすれば、それは「本人のせい」で済ませるべき話ではなく、職場の問題、病院全体の新人育成システムの問題として捉えるべきではないだろうか。

 手術室は病院の中でも特に、スピードや正確さが重要視される職場だろう。譲さんのような性格の人には、ほかの部署から仕事を覚え始めるほうがよかったのではないだろうか? まだ新人だったのだから、まずは譲さんのいいところを伸ばしていくようなOJT(職場での訓練)はできなかったのだろうか?


職場で孤立していなかったか?

 その頃、譲さんはどんな気持ちだったのか。同僚たちの聴取書を読んでいても、ほとんど何も見いだせない。

〈……7月中旬頃には少し落ち込んだようで元気がないように感じた時期もありましたが、その時点では精神的な病気になっているとは感じませんでした。8月に入ってからは落ち込んだ様子もなく元気に仕事をしており、少し仕事に慣れてきたようでミスも少なくなってきていました。……村山さんの性格について、緊張しやすい人だと感じました。あまり社交的ではなく、大勢の前で話を振られるのが苦手のように感じました。また、昼食も看護師のラウンジではなく、いつもドクターラウンジでとっていました。……村山さんが4月から不眠などの症状で眠剤を服用したり、その後デパスを処方されていたということは村山さんが亡くなった後に知りました。亡くなる前にそのようなことを知っていれば、私たちもそれを理解して村山さんに接したり、仕事の進め方や指導方法などもっと何かできたことがあったかもしれないと思います。〉

〈……村山さんは4月に入社して来ましたが、もともとの人柄や性格がわかりませんので、村山さんが精神的な病気になっていたかどうかわかりません。また、眠剤やデパスなどを服用していたということも知りませんでした。〉

〈……村山さんはプライドが高いというか、年下の私たちから仕事上の助言、アドバイスを言われたくないという雰囲気があると思っていました。そのため余計なアドバイスなどはしないように、関わらないようにしていました。〉

 聴取書を読んでいると、筆者はどうしても「もう少しどうにかならなかったのか?」と思えてしまう。〈村山さんは、昼食は看護師のラウンジではなく、医師たちのラウンジで食べていました〉〈彼とは関わらないようにしていました〉。譲さんは職場で孤立していたのではなかったか? 仮にその原因の一端が譲さんのほうにあったとしても、周囲の人たちはなんとかできなかったのか? 

 譲さんは30代で看護師を目指した。「男性」の「30代新人」は看護の世界では珍しいだろう。その彼に、適切なケアはなされていたのか?

 釧路市内の譲さんのマンションにあった本のタイトルを並べてみる。
『自己肯定感って、なんやろう?』
『自分に気づく心理学』
『「テンパらない」技術』
『ほめ日記 自分新発見』
『自分の気持ちをきちんと伝える技術』

釧路のマンションにあった譲さんの本=遺族提供写真

 筆者は、職場の誰それが悪かったと責めたいのではない。ただ、職場のあらゆる人たちが、〈なぜ彼が死んでしまったのか? どうすれば最悪の事態を防げたのか?〉と、真剣に考えるべきだ、その責任はある、と思っている。

(次回に続く)

 

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