【新潟市水道局職員自死事件】十七回忌

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 5月8日午前8時半。新潟市中央区にある水道局の本庁舎では、始業時刻と共にチャイムの音が鳴った。この日のための特別な放送が流れた。

職員の皆さんにお願いいたします。平成19年5月8日に当局職員の自死事件が発生してから今日で16年が過ぎようとしています。この事件については、当局の安全配慮義務違反を問う民事訴訟が提起され・・・

 庁舎3階にある総務課のオフィスではすべての職員が起立し、放送を聴いた。

当局はこの事件について事業者としての責任を痛感し、深く反省すると共に、職場内コミュニケーションを活性化し、風通しのよい、より働きやすい職場環境の構築に向けて取り組みを進めていきます。そこで、亡くなられた職員への哀悼の意を表すると共に、風通しのよい職場づくり、および再発防止への決意を新たにし、共有するため、黙祷をお願いします。

黙祷、はじめ。

 約1分間の静寂が流れる。幹部や職員たちは目をつむり、首を垂れた。

黙祷を終わります。ありがとうございました。

 放送が終わると同時に、トゥルルルと固定電話のベルが鳴る。職員の一人がとる。「はい、総務課です」。ほかの職員も着席し、机の上に資料を広げたり、パソコンを起動させたり。その物音に重なるようにして、臨時放送終了を告げるチャイムの音が鳴る。静まりかえったオフィスに日常の騒がしさが戻る。

 職員の1人は黙祷後に話した。

彼とはプライベートでも付き合いがあったので、非常につらい思いをしました。そのことを思い出しまして、胸に来るものがありました。あのような形で亡くなられてしまいましたので。本当に、こんな悲しい事件は二度と起きてほしくないし、起こしてはならないと、改めて思いました。

 その言葉に嘘はないと信じたい。

 水道局のすべての職員が男性の死を悼み、二度とこのようなことを起こさないと誓う。1分間の黙祷は、その気持ちを形として表すための儀式だったと信じたい。

 ◇ ◇ ◇

 前日の5月7日、筆者は亡くなった男性の妻Mさんから電話をもらった。声の調子は怒りを帯びていた。

 4月27日に水道局のK総務部長から電話がありました。事件の反省を踏まえ、5月8日から1週間かけて全職員にハラスメント研修を行う、という内容でした。わたしは「じゃあ命日にあたる8日に黙祷をしていただけませんか」と頼みました。そうしたら即座に「それはできません」と断られました。「どうしてですか?それが再発防止の第一歩ではないんですか?」と頼んでも、「私自身では決められないので検討します。でも、たぶんダメだと思います」という話でした。

Mさん

 水道局の黙祷は内部からの自発的なものではなく、遺族から促されて実施したものだった。しかも最初は遺族の要望を断っていた。筆者はK氏に確かめた。

 水道局の発案ではなく、ご遺族の働きかけで黙祷を行ったのは事実です。5月8日からのハラスメント研修については、4月中旬に行われた労使参加の衛生委員会で話し合って内容を決めたものでした。奥さんから頼まれた黙祷も、本来は衛生委員会の議題にかける必要があります。次回の委員会は5月中旬の予定なので、連休明けの8日には間に合いません。そういう意味で「難しいです」と申し上げました。

K総務部長

 当初黙祷を断った理由をK氏はこう説明した。ではなぜ実施に至ったのか。

 持ち帰って考えた結果、やっぱり必要だろうということになりました。正式な委員会は開催できませんが、緊急で労組側の代表と協議し、了承を得たため、5月2日付で、命日に黙祷を実施することを決めました。

同上

 水道局側のこの決定までのあいだに、実は遺族側も動いている。Mさんはこう話す。

 4月27日のKさんの説明に納得がいかなかったので、次の日の28日、わたしはKさんに電話して、中原市長に連絡することを伝えました。市長がダメでも秘書課長に会っていただくように頼みますと。そして実際5月2日午後2時に秘書課長に時間をとってもらいました。そうしたら当日の2日、午前中にKさんから電話がありました。「やっぱり黙祷を行います」とのことでした。

Mさん

 結局は市長サイドからせっつかれて黙祷を行ったのではないかと、Mさんは疑っている。K総務部長は「そんなことはありません。水道局内部で決めました」と否定する。だが、そう思われても仕方ないほど、水道局の動きは消極的だ。遺族の要望をはじめはばっさりと断った。しかも理由はかなり形式的なもので、結局は5月1日と2日というゴールデンウイーク期間中の数少ない平日に対応できた。

 黙祷を行ったことはよかったと思う。あえて好意的に書くなら、水道局が「遺族の切なる思いを受け止めた」ということになる。が、少し裏側に目を向けると、いろいろな疑問が湧いてくる。命日に合わせてハラスメント研修を行うなら、なぜ黙祷すら思いつかなかったのか。遺族から要望された時、なぜすぐに断ったのか。「すみません。思いつきませんでした。急いで検討します」と、なぜ言えなかったのか

 黙祷という「結果」も大切だが、それに至る「過程」は同等もしくはそれ以上に大切だ。遺族はその「過程」を水道局と共に歩みたいと思っているが、今のところ両者の歩調がそろっているとは言えない。(文・写真/ウネリウネラ牧内昇平)

(続く)

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