ものごころついたころから、自分の心のありようがうまくつかめず、失敗を重ねてきた。
いくつもの異なる物事をぎゅうぎゅうに詰め込んでもなお、心はますます躍動し続けることもあれば、たったひとつのことが、あっという間にその全体を占め、簡単に決壊してしまうこともある。
今私の心の空き容量はどれくらいで、どれくらいのことならば受け止めることができるのか。その調節がうまくできず、そのことをずっと、とても厄介に感じている。
多くの人たちが、そうだろうか。
◇
昨日の夕方、自宅へ帰る信号待ちの車内で、8歳の長男がぽつと言った。
「ひみつがあると、なんか心の中がせまくなっちゃうんだよね」
すうっと、何かを突き付けられるような気がした。
身のまわりのものは散らかし放題の長男だが、自分の心のスペースについては、はっきり把握できているのだろうか。不思議だったが、その語り口はごく自然だった。
――今みたいなこと、書いておくといいよ。
そんなことを思っていると、運転席から夫が言った。
「ああ、わかるな。不安とかも、そうだよね」
◇
私は何も言えなくなった。夕立の後の陽光が、少し眩しかった。
「なるべくうまく吐き出していけるといいよね。ため込まないで」
夫は誰に向かって話しているんだろう。長男も、私も、何も言わず窓の外を見ていた。
三列目の次男と三男は、くたびれた体をだらんと傾けて、寝息を立てていた。
