心の容量

ものごころついたころから、自分の心のありようがうまくつかめず、失敗を重ねてきた。

いくつもの異なる物事をぎゅうぎゅうに詰め込んでもなお、心はますます躍動し続けることもあれば、たったひとつのことが、あっという間にその全体を占め、簡単に決壊してしまうこともある。

今私の心の空き容量はどれくらいで、どれくらいのことならば受け止めることができるのか。その調節がうまくできず、そのことをずっと、とても厄介に感じている。

多くの人たちが、そうだろうか。

昨日の夕方、自宅へ帰る信号待ちの車内で、8歳の長男がぽつと言った。

「ひみつがあると、なんか心の中がせまくなっちゃうんだよね」

すうっと、何かを突き付けられるような気がした。

身のまわりのものは散らかし放題の長男だが、自分の心のスペースについては、はっきり把握できているのだろうか。不思議だったが、その語り口はごく自然だった。

――今みたいなこと、書いておくといいよ。

そんなことを思っていると、運転席から夫が言った。

「ああ、わかるな。不安とかも、そうだよね」

私は何も言えなくなった。夕立の後の陽光が、少し眩しかった。

「なるべくうまく吐き出していけるといいよね。ため込まないで」

夫は誰に向かって話しているんだろう。長男も、私も、何も言わず窓の外を見ていた。

三列目の次男と三男は、くたびれた体をだらんと傾けて、寝息を立てていた。

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