かぞえる ~アーノルド・ローベル『ぼくのおじさん』を読んで~

 私の母の実家は、高知県高知市にある。

 私たちきょうだい3人がまだ小さかった頃、母は春や夏の休みになると、しばしば高知に帰省した。1週間くらいは滞在しただろうか。仕事で忙しい父は東京に残った。今思えば、子ども3人を連れて高知へ行くのは大変だったにちがいない。

 小学生だった私は、この帰省が大好きだった。高知は東京よりもセミの鳴き声が大きく感じた。観光地も回ったが、それよりも、おばと近所でラーメンを食べたり、祖母の馴染みの喫茶店に行ったり、なんとなく親戚たちとたらたら過ごすのが好きだった。高知の親戚たちは、虫の居所が悪いと大人同士で文句を言い合ったりもするけれど、どこかのんびりとしていて、飾ったところがなくて、子どもと対等に付き合ってくれる人たちだった。

 4月から中学に入ろうという小学6年生の春休みのことだ。夜に家族で帰省した私たちを、当時70代の祖父母が、高知駅か空港まで迎えに来てくれた。いつもならみんなでタクシーに乗って市内の祖父母宅まで向かうところだが、このときは祖父と私だけ別行動をとり、市内を走る路面電車で帰ることになった。

 実を言うと、私はこの祖父のことが少しだけ怖かった。「怖い」と言うと大げさか。温厚で、めったに怒らない人だった。ただ、わいわいがやがやと親しみやすい親戚たちの中で、一人だけ近づきがたい印象があった。

 祖父は士官学校を出て海軍に入り、終戦後は高校の教員をしていたと聞く。古い家では当たり前のことだが、母の実家で一番「えらい」のは祖父だった。茶の間には籐製の揺り椅子が一脚あり、祖父は2階の寝室から降りてくると、この椅子に深々と腰を落ち着けた。祖父がいると、場の雰囲気が少しだけピリッとした。大声で騒ぐと母や祖母から叱られたし、テレビは子ども向けの番組から時代劇やニュースに変えられた。

 当時は70代の初めだったはずだ。あの頃の70代というのはもう立派な「おじいさん」で、たびたび帰省しても祖父と一緒に遊んだり、どこかへ出かけたりした記憶はほとんどない。若かった頃の写真を見ると、私の2歳上の兄とそっくりの顔をしていた。どちらかと言えば、祖父は私よりも兄のことを気に入っていると、なんとなく思っていた。

 私たちが二人きりで行動するのは、あの晩が初めてだったと思う。

 夜の高知市内を、路面電車はガタゴトと体を震わせて走った。中心部のおびさんロード商店街。当時は今よりもネオンが明るかったけれど、東京に住む私にはひどくさみしく思えた。がらがらの車内で、私と祖父は隣り合って座った。やせてマッチ棒のような祖父の体からは、するめいかのような匂いがした。私はなるべく祖父の視線を避けたかったが、かと言って避けているのを気付かせてはならないという思いもあり、どんな風にしていたらいいか分からなかった。「早く家に着かないかな」とばかり考えていた。

 そんな私の心境を察したのか、祖父が私の肩をトントンとたたいた。差し出された小さなメモ用紙を読むと、「あと4つで着く」と書いてあった。

 祖父は咽頭がんを患い、声帯の一部を切り取っていた。声を出すには、のどに開けた穴に金属製のチューブを入れなければならない。このため、祖父は人前ではほとんど話すことがなく、筆談で用を済ませていた。家庭では時折話したが、声量や声音の調整は難しく、壊れたラジオのような音がして、子どもの私はビクッとしたものだった。先ほど祖父のことを「怖かった」と書いてしまった理由を探せば、ここに行き着く。私は祖父の本来の声を聞いたことがなかった。

 祖父のメモを読んであいまいにうなずき返した私は、また車窓へと目を戻した。路面電車は駅と駅との距離が短い。あと4つ、あと3つ……。心の中で指を折ってかぞえながら、車窓の風景に目を奪われているふりをした。

 そんな孫に、祖父がどんなまなざしを向けていたか、私は考えたことがなかった。


 アーノルド・ローベル(三木卓・訳)の『ぼくのおじさん』は、こんなあらすじだ。

 ぞうのこどもの「ぼく」。かあさんととうさんはある日、船旅に出たまま行方不明になってしまう。ひとりぼっちになったぼくを、年をとった「おじさん」が訪ねてきた。

  「さあ そんな くらいところからでておいで」

  「ぼく どこへ いくの?」

  「わしの ところへ くるんだよ」

 ふたりは汽車に乗っておじさんの家へ向かった。車中、おじさんはおかしなことをした。

  「ひとつ ふたつ みっつ。おや ぬかしてしまった」

  「ひとつ ふたつ みっつ よっつ。ああ また ぬかしてしまった」

 おじさんは車窓を流れる家々や電柱のかずをかぞえようとしては、そのたびに多すぎて失敗してしまうのだった。

 おかしなおじさんとの共同生活がはじまった。夜明けにおたけびをあげたり、一緒にうたをつくったり。

 そうして数日過ごしていると、ある日おじさんの家に電報が届いた。ぼくのかあさんととうさんは海で救助され、無事だった。

 ふたりは再び汽車に乗った。

  「ひとつ ふたつ みっつ よっつ。」

  「おうち かぞえているの?」

  「いいや」

  「でんちゅう かぞえているの?」

  「いいや。こんどは そうじゃないんだ」

 


 先日、子どもを図書館につれていった時、たまたまこの本を手にとった。自分が小さいころには読んだことがなかった。状況はまったく違うけれど、私はふと、祖父と乗った路面電車のことを思い出していた。

 私が通過する駅の数をかぞえていた時、祖父はなにをかぞえていただろうか?

 なぜ私たちは二人だけ路面電車で帰ったのか。はっきりと覚えていないが、祖父の提案だったように思う。あの頃私は中学受験をし、4月から都内の私立中学に入学することが決まっていた。そのことを祖父がとても喜んでいたと、後に母から聞いたことがある。

 数年後、祖父は亡くなった。

 中学に入ると私は部活動や友達付き合いに忙しくなり、高知から足が遠のいてしまった。

 路面電車の思い出は、小さな悔恨と、それより一回り大きな安らぎとをもって、私の心に残っている。

子どものスイカ

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